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この記事は 2021年05月21日 に以下のカテゴリに投稿されました バイク.

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生誕75周年を迎えるベスパが過去10年間で約200万台を生産し、生産台数1,900万台を達成

へぇ~

そうなんだ。

あのベスパが、生誕75周年を迎えるそうです。

新車も出てくるみたいですよ。

生誕75周年を迎えるベスパが過去10年間で約200万台を生産し、生産台数1,900万台を達成
ピアッジオ グループ ジャパン株式会社

そこにはベスパに乗り自由を夢見て、そして自由を手に入れた人々による1,900万通りの物語が存在します。
今日、ベスパは手軽でエレガントな通勤通学などの移動の手段という機能を超えて、スタイルやファッション、デザインの象徴として伝説になっています。

世界83カ国で展開するグローバルブランドであるベスパは、その歴史の中で最も輝かしい瞬間を迎えています。ブランドの価値観を壊すことなくイノベーションを起こし、常に若々しく、現代的で他に類を見ない存在であり続けています。

生誕75周年を迎えるベスパが過去10年間で約200万台を生産し、生産台数1,900万台を達成

生誕75周年を迎えるベスパが過去10年間で約200万台を生産し、生産台数1,900万台を達成

2021年4月22日、 ベスパは生誕75周年を迎え、1946年の春から起算して生産台数1,900万台という驚異のマイルストーンに到達しました。1,900万台突破を祝すベスパは、75周年記念特別モデルのGTS 300を1946年から途切れることなくベスパを生産し続けているポンテデーラ工場で組み立てられました。

1,900万台のベスパには、世界で最も愛されている二輪車にまたがって、自由を手に入れた世界中の少年少女と同じ数だけ物語が存在します。ベスパは彼らの人生に寄り添い、感情や自由への渇望を具現化してきました。なぜなら、ベスパは私たちの文化の一部だからです。イタリア人、ヨーロッパ人、アメリカ人、アフリカ人、アジア人をはじめ幅広い世代が想像する、人生における主人公なのです。今日、ベスパは、私たちの日常生活の中で風景の一部として溶け込んでいる類まれな製品の一つです。

ベスパがその歴史の中で最も輝かしい時代を迎える特別な瞬間が訪れています。世界83カ国で販売され、今や世界で最も有名で最も愛されている二輪車です。ベスパはこれまでの手軽でエレガントな通勤通学手段という機能を遥かに超えて、イタリアの技術とスタイルの象徴であり、その名のもとに何百万人ものファンを集めることができるグローバルブランドに成長しています。

常に進化し続けるモデル、常に最先端の技術を駆使し、流行やトレンドを超えた独自のスタイルを備え、オリジナルの価値観を忠実に守りながら巧みにイノベーションを起こすことは、過去10年間で生産台数180万台を突破した成功要因のほんの一部に過ぎません。

新世紀に突入した最初の10年の半ば時点では、ベスパの年間生産台数は約5万台でしたが、それ以降目覚ましい成長を遂げ続け、2007年には10万台、2018年には20万台を突破しています。

生誕75周年を迎えるベスパは、これまで以上にグローバルブランドの地位を確立しています。最も有名な「イタリア製」製品の一つであり、3つの生産拠点で製造されている本当の意味での世界市民と言えます。ポンテデーラではヨーロッパ、アメリカ、そしてすべての西欧市場向けに生産しており、ベトナムのヴィンフックではローカル市場と極東地域向けに生産しており、2012年4月に開設された超近代的なインドのバラマティ工場ではインドとネパール市場向けのベスパを生産しています。

2021年と1950年代のイタリア・ポンテデーラ工場

2021年と1950年代のイタリア・ポンテデーラ工場

独自の歴史
ベスパは、個人の移動手段として革新的な製品を作りたいという想いから誕生しました。まず、パラシュート兵向けの小型モーターサイクルをモデルに「モータースクーター」を製作し、その後、それまでの伝統的なモーターサイクル レイアウトの主流であったコンセプトを一新するプロトタイプを製作しました。応力に耐えうるボディ、チェーンを排したダイレクトドライブユニット、ハンドルバーにギアシフトを備えた車両の誕生です。クラシックなフロントフォークを廃止し、片持ちスイングアームを採用したことでタイヤ交換が容易になり、何よりもフレームを廃止して応力に耐えうるボディに交換したことで、ライダーを汚れやしわくちゃのウェアから解放することができます。ベスパの意匠特許出願日は1946年4月23日となります。

すべての再建が求められていたこの国において、アイデアと創造性と希望に満ち溢れたベスパは、その最初の登場から生きる喜びと未来に向けた戦いを表現しており、それ故にすぐに世界中の少年少女にとって自由と解放の象徴となりました。このようなベスパの価値観は、その時々で常に最先端のスタイルと技術を誇り、時代を越えて受け継がれてきました。

復活してから、ベスパはその伝説的なステータスを強化し続け、数十年に渡る経済的な繁栄と60年代の世代交代を通してアイデンティティを確立してきました。自動車の大衆化現象が進む中、ベスパは交通渋滞への解決策を提案し、より小さなエンジン排気量のバージョンでは、当時まさに社会の中で存在感を増していた若者の伝説的な世界に貢献していました。そして70年代にエコロジーに対する意識が高まった時、ベスパは交通渋滞をすり抜け、簡単に駐車スペースを見つけることを可能にした、都市公害の是正手段となりました。

ベスパは様々な時代を経て、常に最先端のテクノロジーを象徴してきました。極めて先進的な応力に耐えうるボディを搭載するコンセプトを特徴とし、今日でも完全にスチールで製造されており、個人の移動手段の進化に貢献してきました。今日、環境に優しいエンジンと現代的なライディングをサポートする技術的なソリューションを備えた最新のベスパのモデルは、ベスパのデザインを不滅のものにした進化に対するスタイル統合を表現しており、世界中でイタリアンエレガンスの象徴となっています。

ベスパ市販車第1号 Vespa 98 (1946)

ベスパ市販車第1号 Vespa 98 (1946)

ベスパ史年表
1946年4月23日、ピアジオ社(1884年創業)は「合理的な要素の有機的な複合体に、フレームとフェンダー、機械部品をすべて覆うエンジンフードを組み合わせたモーターサイクル」の特許を出願しました。ベスパの誕生です。98cc、2サイクル単気筒エンジンを搭載したスクーターは、トスカーナ州のポンテデーラ工場で製造されました。

1948. ベスパ125ccモデルを発表

1949.  30ものクラブが加盟する「イタリアーナ ベスパ ライダーズユニオン」が結成され、第1回大会を開催

1950.  ホフマン・ヴェルケ社とのライセンス契約により、ベスパのドイツでの生産を開始

1951.  イギリスではブリストルのダグラス社、フランスではパリのACMA社とライセンス契約を結び、ベスパの生産を開始

1952.  イタリア、フランス、ドイツ、スイス、オランダ、ベルギーのクラブをまとめ、ミラノにベスパクラブ ヨーロッパが誕生。全世界のベスパクラブの会員数が50,000人を突破。全世界10,000カ所以上にベスパ サービスステーションを設置

1953.  ベスパ125は、グレゴリー・ペックとオードリー・ヘップバーンが出演したウィリアム・ワイラー監督の映画「ローマの休日」で不朽の名作となる

1955.  ベスパGSは、これまでに製造されたスクーターの中で最もエレガントなスクーターであり、初めて時速100kmを達成し、初めて4速ギアボックスを採用し、10インチのホイールを搭載するなど、ベスパにとってのターニングポイントとなる

1964.  50ccのエンジンを搭載したベスパ、ベスピーノが誕生

1965.  ベスパの販売台数が350万台を突破

1968. 「Chi Vespa mangia le mele (リンゴを食べる勇者に捧げるベスパ)」”キャンペーンが広告界に革命を巻き起こす

Chi Vespa mangia le mele (リンゴを食べる勇者に捧げるベスパ)

Chi Vespa mangia le mele (リンゴを食べる勇者に捧げるベスパ)

1968.  ベスパ プリマベーラは、最も長い歴史を持つベスパモデルの一つであり、ヨーロッパで新世代の車両となる

1976.  ベスパ プリマベーラ 125 – ET3が電子制御式イグニッションを備えた最初のスクーターとなる

1978.  ベスパPXが3つの「クラシック」125、150、200ccバージョンで誕生。3,000万台以上を売り上げた、ベスパ史上最も売れたモデルとなる

1980.  世界で最も過酷で壮絶なレースであるパリ・ダカールに4台のベスパPXが参戦。驚くべきことに、マルク・シモノが乗ったその内の1台がレースを完走

1980.  世界で最も過酷で壮絶なレースであるパリ・ダカールに4台のベスパPXが参戦。驚くべきことに、マルク・シモノが乗ったその内の1台がレースを完走

1980. 世界で最も過酷で壮絶なレースであるパリ・ダカールに4台のベスパPXが参戦。驚くべきことに、マルク・シモノが乗ったその内の1台がレースを完走

1984.  ベスパ PK 125 オートマティカが自動変速装置を搭載した最初のベスパとなる

1988.  ベスパの販売台数が1,000万台を突破

1992.  ライター兼ジャーナリストのジョルジオ・ベッティネッリが1993年3月にベスパでローマを出発し、サイゴンに到着。1994~95年には、同じくベスパでアラスカからティエラ・デル・フエゴまでの36,000kmを走破。1995~96年には、メルボルンからケープタウンまで12ヶ月間で52,000km以上を走破。1997年には、チリから出発し、3年8ヶ月後にタスマニアに到着し、ベスパで144,000kmを旅して、アメリカ、シベリア、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、オセアニアの90カ国を横断。ベッティネッリがベスパで旅した距離は合計25万kmとなる。

1996.  ベスパの新世代となるET4 125ccモデルが誕生。ベスパとしては初めて4サイクルエンジンとオートマチックギアを採用

1996.  ベスパの販売台数が1,500万台を突破

1997.  ベスパET2(50cc)を発表

1998. 世界で最も売れたスクーターモデル(発売時から200万台以上)であるベスパ PXをモデルチェンジしフロントディスクブレーキに変更

2000.  ベスパがアメリカ市場に復帰

2003.  ベスポーネの復活、ベスパGT125とベスパGT200が誕生

2005.  ベスパLXがベスパの最もクラシックなラインへ回帰

2006.  ベスパは生誕60周年を記念して、初期のベスパに採用していたカラーとスタイルを再現した華やかなベスパ 60°特別モデルを発表

2008.  ベスパGTS 300スーパーが、史上最高のパフォーマンスとスポーティさを誇るモデルとなる

2011.  ベスパ946が美しさと技術的な完成度を追求した最上級モデルとなり、その名前はイタリアンエレガンスを象徴するスクーターが誕生した1946年を彷彿とさせる

2013.  伝説のベスパ プリマベーラが復活。排気量50、125、150ccで生産され、伝説のベスピーノのリニューアル版となる

2018.  電動ベスパ エレットリカが誕生。モビリティセグメントに変革をもたらし、技術的なハートを持った現代アート作品となる。静かで乗りやすく、ポンテデーラ工場で完全生産されたこのモデルは、スタイルや技術面における価値観を忠実に守りながら、常に時代を先取りし、最先端を走ってきたブランドの革命的で現代的な情熱を表現している。

2021.  ベスパの生産台数が1,900万台を突破。生誕75周年を記念して、GTSとプリマベーラに新たなエレガンスを纏わせたベスパ75th特別シリーズを発表

ベスパ75th特別シリーズ

ベスパ75th特別シリーズ

歴代のモデル画像はコチラから
URL:https://xfs.jp/QQFFNC

ベスパ ジャパン公式ウェブサイト
URL: http://vespa-japan.com/index.html?id=prt

ベスパ ジャパン公式SNSチャンネル
FACEBOOK: https://www.facebook.com/vespajapan/
INSTAGRAM: https://www.instagram.com/vespa_japan/
YOUTUBE: https://www.youtube.com/channel/UCsaFZ3S_wuYY1Zb2pvz4W1Q

ベスパ ジャパン公式オンラインショップ
URL: https://piaggiogroup-store.jp/vespa/recommend

以上

乗った感じとしては、あのスタイルはやっぱりいちばんだと思うし、機械的にも、すごくよく考えられて、合理的に作られているのね。

だから、長く使われているのかも。

重くてゴツくて、軽量化なんて、言葉は昔のベスパには見当たらない感じもするけれど、そのベスパが、パリダカを完走したというのには、少し驚いちゃうよな。

ハンドシフトにも、すぐに慣れると思うし、良いバイクですよ。


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